プロフィール

大西文博

昭和26年3月10日生まれ

昭和53年 グループ窯を作り数名で初めて陶器祭りをおこす。

平成14年 通産省より伝統工芸で表彰を受ける。

平成21年 丹波陶磁器協同組合 理事長就任

大西隆(叔父)

昭和8年1月7日生まれ

平成9年 技能顕功賞受賞

作陶暦約60年、まだまだ現役です。

大西雅文

昭和55年3月9日 丹文窯4代目 長男として生まれる

平成12年 大阪芸術短期大学部 デザイン美術科工芸専攻 卒業

愛知県瀬戸市霞仙陶苑(加藤 裕重 氏)にて修行

平成16年 立杭 丹文窯にて、作陶を始める

平成17年 加古川ヤマトヤシキにて初個展・「グループ窯」入会

平成18年 神戸SOGOにて展覧会

現在、作陶に展示会と精力的に活動中。

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丹波焼とは

丹波焼の歴史について

丹波焼は、瀬戸、常滑(とこなめ)、信楽(しがらき)、備前、越前とともに日本六古窯の一つに数えられ、その発祥は平安時代末期から鎌倉時代のはじめといわれています。桃山時代までは「穴窯」が使用されていましたが、慶長16年(1611)ごろ朝鮮式半地上の「登り窯」が導入され、同時期に取り入れられた蹴りロクロ(日本では珍しい立杭独特の左回転ロクロ)とともに、伝統技術を今日に受け継いでいます。

当初は、壺や甕(かめ)・すり鉢などが主製品でしたが、江戸時代前期小堀遠州等の指導により、茶入・水指・茶碗など茶器類に多くの名器を生み、後期には篠山藩の保護育成により、直作(なおさく)、一房(いちふさ)、花遊(かゆう)、一此(いちこの)等の名工が腕を競って、丹波焼の名を高めました。

明治、大正、昭和と受け継がれた丹波焼は、太平洋戦争後の苦境を乗り越え、食器・花器等の民芸品を中心とした作品作りに精進しております。

名称については、穴窯時代は小野原焼、登り窯時代になってからは、「丹波焼」又は「立杭焼」と呼ばれてきましたが、昭和53年(1978)「丹波立杭焼」の名称で国の伝統的工芸品指定を受けております。また、現在は組合で「丹波焼」に統一しています。

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